TVタックル超常現象SP

毎年ながら面白かつた。例年に比べて今年はちよつと内容が薄かつた氣がしますが。單に超能力者が出てゐないからさう感じたに過ぎないのかもしれません。私は超能力が*1大好きなのです。
ところで吉村作治先生が何もしてゐないんですが。「神々の指紋」の矛盾を指摘するのではなかつたのですか。あれではハンコック氏が捏造した「根據も無く『定説』に固執する愚かな學者」といふ考古學者像を増長するやうなものです。あるいは彼がそれに關して語つてゐるところを製作者がカットしてゐるのだとすれば、それは非道いミスです。
ハンコック氏が「UFOの下らない議論で疲れた」といふやうなことを言つてゐました。それに對して松尾貴史氏がうんうんと頷いてゐましたが、果して頷くべきことでせうか。ハンコック氏が自分の説に大きな自信を持つてゐるのが窺はれます。しかし『神々の指紋』がUFOと同じやうなレヴェルのものであるのは明かです。それでも、彼はさう思つてゐない。それゆゑに「UFOの下らない議論で疲れた」などと言へるのでせう。さうして、本當に「UFOが下らない」から「UFOが下らない」と言つたのではなく、自分のお話が聞いてもらへなくて淋しくて「UFOが下らない」と言つたやうに感ぜられます。さう考へるのは意地惡でせうか?

*1:ある意味で

「變だ」

  • 「そんな理由で人を殺めるのは變だ」
  • 「近頃の若者の行動は變だ」
  • 「今の世の中は變だ」

「變だ」と思つたら先づ、變ではない別の可能性を探るべきでせう。
「超能力者」が手を翳したら念力でコインが動きました。手には何も持つてゐません。變です。ならば、ギミックは手の他にあるのかもしれないとか、肌色だから見えないだけなのかもしれないとか、さう考へるべきです。それだけで「その人に超能力がある」と考へるのは早い。
同樣に、報道を聞いて「變だ」と思つたら、何でも先づ疑つても良いと思ひます。

補足

勿論疑ふのは現實の世界のことに留めるべきであつて、架空の世界のことまで疑ひ盡すべきではありません。映畫の魔法を見て「これは絲で吊つてゐる」とか「これはCGに違ひない」とか言ふのは無粹です。マジックショーで種を見破らうとするのも、着包みの中にをぢさんが入つてゐると言ふのも同樣。

良く考へよ

精神病患者が犯罪を犯す確立は、健常者よりも少いといひます*1。良く考へてみれば分ることです。精神を患つてゐる人に犯罪を犯すほどの元氣があるわけがない。
我々は良く考へるべきなのです。理解しようといふ氣持を捨ててゐて、何が「今の世の中はをかしい」ですか。何がをかしいのですか? 何もをかしくなんてないでせう。

とか書いているうちに、「サタズバ」が始まったが、みのもんたが「今の日本、何か間違ってませんか?」と、相変わらずの無責任な煽りを繰り返している。日本を間違えさせている重要な一端を担っているのは、あんたらマスゴミじゃないの?

實にその通りだと思ひます。みのもんた氏は同じ番組で「かういふ犯罪*2を犯すのは人間ぢやない」と言つてゐました。どんな兇惡な犯罪者だつて所詮は人間です。良く考へればその心理は理解出來る筈です。それを彼等は考へようともしない。どうして理解しようとしないのでせう。
養老孟司といふ人が「バカの壁」なる本を書いてゐます。何でも、人と人とはどうせ話しても分り合へない、その人でもないのだからその人の氣持なんか分るわけがないんだ、といふ内容であつたと思ひます。最初から考へることを抛棄してゐます。「バカの壁」なるものがあるとすれば、養老氏のそれは恰も萬里長城のやうではありませんか?
因みに私がこんなに偉さうなことを言へるほど日常良く物事を考へてゐるかと言へば、さうでもありません。だからと言つて、それを引け目に感じて默つてゐるのは卑怯だと思ふので、かうして書くのです。

小六女兒、刺され死亡

 10日午前9時すぎ、京都府宇治市神明石塚1の学習塾「京進宇治神明校」内で、同市開町、同府職員、堀本恒秀さん(42)の長女、堀本紗也乃(さやの)さん(12)=同市立神明小学校6年=が、講師の萩野裕(ゆう)容疑者(23)に刃物で刺された。紗也乃さんは病院に搬送されたが、約20分後に死亡が確認された。紗也乃さんは刺された時、萩野容疑者と教室で2人きりだった。萩野容疑者はハンマーと包丁2本を所持し、教室のモニターを見るモニターの線は切断された状態らしい。塾には生徒12人がいたが、無事だった。萩野容疑者が自分の携帯電話で「包丁で刺した」と110番通報し、急行した京都府警宇治署が、教室内にいた萩野容疑者を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。容疑を殺人に切り替えて、動機などを追及している。

豫言しませう。また小學生が殺される、と。

何か豫言が成功してしまつたみたいです。いんちき教團を始められるかも知れない。

豫言

豫言しませう。また小學生が殺される、と。
それあ、期限を決めてゐないかうした豫言は當るに決つてゐますが、さういふ話ではありません。

体育館に集まった1、2年生207人に誘拐をテーマにした手作り紙芝居を見せ、「悪い人に捕まりそうになったら、叫びながら暴れましょう」「知らない人が車の中から呼んでも近づかないで、車の後ろの方向へ逃げましょう」などと指導した。
同小の2年女子児童(7)は「変な人から声を掛けられたら、大声を出してパンチやキックをしながら逃げたい。練習したから大丈夫」と話していた。

「叫びながら暴れ」たから殺された悲慘な事件が、それこそ山のやうにありませんでしたか。
小學一二年生の「パンチやキック」など、大人に效くわけがありません。神經を逆撫でするだけです。始めは單なる誘拐目的だつた者が、これは手に負へないと判斷してより兇惡な手段に頼ることが、實に容易に、頭を全く使はなくても、想定できます。
生半可な練習をすることが一番危ない。その「パンチやキック」も私にだつたら效くかも知れません。「練習」の相手の大人にも效きませう。それはさうです。私も、「練習」相手の大人も、決して子供を犯罪に卷き込まうといふ意思を持つて近附いてゐるのではないのですから。