聖性

「少女は神聖な存在であつて云々」とか「その成長途中の美しさが云々」とか、さう云ふ言葉を、私は胡散臭いと思ひます。
私は異性として、嚴密に言へば戀愛の對象として、幼女を好いてゐるのです。「少女は神聖な――」と言ふ人も、結局はさう云ふことであらうと思ひます。異常な事ではありませうが、違法若しくは不道徳な行爲に至る訣でもなく、ただ片想ひをしてゐるのであれば何も後ろめたい事はありますまい。それを變に後ろめたく感じて誤魔化す爲に神聖な云々と理窟を附けてゐるのではないかと疑ひたくなるのです。
私は、幼女と自分とを對等に見てゐる積りです。私が一方的に慕つてゐる以上、詰り惚れた弱みが有る以上、結果として上に立たれることはありませうが、神聖云々と言つて仰ぎ奉る積りは毛頭ありません。戀愛の對象に「君は神聖だ」等と言ふのは失礼と云ふものでありませう。
また、最も良く聞く「成長途中の美しさが云々」若しくは「大人でもなく子供でもない」と云ふのを、實に可笑しいと思ひます。さうして、「大人でもなく子供でもない」と云ふのは大抵、身體の機能としては成人であり、それに性慾を感じるのは、私に有るやうな性的指向の偏りさへ無ければ當然と云ふものです。また、多くの哺乳類の雄性と云ふのは成るべく若い雌性を好むものでありませう。只人間の現代日本社會でそれが良くない事とされてゐるだけです。さうして、當然であるのを大袈裟に言ふのは可笑しなことです。