内輪揉め

内輪揉めになりますが、『旧字旧かな入門*1』を批判したいと思ひます。

本書の第一章と第二章の内容を咀嚼しただけでは実のところ、通常のいかにも自然な「旧字・旧かな」の文章を綴ることはかなり困難です。旧字・旧かなの時代と今日とでは、「明朝体の字体」や仮名遣いだけではなく、用事・用語―表記法が変ってしまった語彙が多いからです。そういう訳で「新字体」の漢字を単に、本書に示した旧字体、あるいは辞書等で「旧字」「正字」等とされている字体へと機械的に差替えただけでは何やら正体不明の奇妙な「旧字交じり」の文章が出来上るだけです。*2

假名遣を變へなければそれは確かに何やら正體不明の奇妙なものが出來るでせう。
さうではなく書換へ語*3のことをいふらしいのですが、一ページ目*4を見て、首を傾げてしまひました。一ページ目で納得が行くものは「愛唱:愛誦」「愛欲:愛慾」くらゐで、後は「ああ:嗚呼・噫」「あいくち:匕首」「合い駒:間駒」「アイスランド:氷洲」「相手:對手」といつたものが竝んでゐます。「嗚呼」だらうが「ああ」だらうが「あゝ」だらうが良いと思ひます。言葉は變化するのです。嘗ては「Iceland」を「アイスランド」と書く場合より「氷洲」と書く場合の方が多かつた。しかし、今は違ふのです。それは國語改革のせゐではありません。自然な變化ではありませんか。
それらは書換へ語でも何でもないし、示されてゐるのは單なる古臭いだけの表記ではありませんか。正字正假名の價値は「レトロつぽい」ことですか。文法に忠實だとか、國語改革が餘りにをかしな方法で行はれたとか、さういふことはどうでも良いのですか。私はレトロつぽいもの、古臭いもの、保守反動的なものが嫌ひです。

*1:府川充男・小池和夫

*2:第三章の解説から

*3:「叛亂」を「反乱」にするやうなもの

*4:118ページ